はじめに

今年の3月始めに屋久島で山歩きをしてきました。
屋久島の山を歩くのは2年ぶり、2回目になります。

初日

中部国際空港から鹿児島空港へ。
(2年前はこの区間は料金がとても高かったのですが、格安航空会社が参入したようで、かなり安くなっていました)
そして鹿児島空港からバスで港まで移動し、高速船で屋久島へ。
(高速船に乗ったのはこの時が初めて)
屋久島では宿泊先のオーナーが港まで迎えに来てくれました。
宿泊先は2年前と同じ晴耕雨読。

宿の名前そのままに、部屋や共同スペースにはたくさんの本が置いてあります。
何日でも宿泊したくなってきます。
ちなみに初日の宿泊者は私一人だけでした。

2日目

2日目は朝一でスクーターを借りて白谷雲水峡へ。
前回行けなかった絶景スポットの場所を確認。
その後、登山に必要な燃料や食料を買い出しへ。
時間が少し余ったので、ヤクシカやヤクザルが多く出没する場所までスクーターで移動。
2年前と同じくたくさんいましたが、時間がなかったので写真は撮らず、宿まで帰宅。

屋久島での飲み会

夜には宿のオーナーが飲み会に誘ってくれました。

屋久島に一つだけある高校の生徒が近々島を離れることになったそうで、そのお別れ会に宿のオーナーがやっているバンドのメンバーで明日演奏するそうです。
その練習会を兼ねての飲み会です。
想像していたより皆さんとてもうまいです。
曲も全てオリジナルだそうです。
その練習のついでに、「誕生日の歌」を歌ってくれました。
「誕生日の歌」というのはその名前の通り、誕生日をお祝いする歌なのですが、私は今まで誕生日をお祝いしてもらったことがないので、この年になってお祝いしてくれたことがとても嬉しかったです。
(ただ私の誕生日は5ヶ月先でしたが)

3日目、いよいよ登山

今日からいよいよ登山開始です。
2年くらいの間ほとんど山に登っていないので、しばらく体を山に慣らす必要があります。
なので、初日は無理をせず、まずは紀元杉から淀川小屋まで歩き、淀川小屋で泊まることにしました。

ここが淀川登山口。
紀元杉から歩いて1時間くらいです。

淀川小屋へ向かう登山口はこの反対側です。
淀川小屋では写真を撮ることを忘れてしまいましたが、なかなか良い小屋でした。
てっきり一人かと思っていたら、夕方になり私と同じ単独登山の人が泊まりに来ました。
3月初めなので、まだ肌寒く、雨も降っていたので登山客も少なく、とても静かな夜でした。
この日は自分でもびっくりするほどぐっすり眠ることができました。

4日目、いよいよ本格的に登山開始

4日目の朝は、昨日ぐっすり眠れたこともあり、とても体調が良かった。
雨も止んでおり、霧が立ち込めて、屋久島独特の、もののけ姫のような雰囲気が立ち込めています。
早く山を歩きたい!
こんな気持ちになるのは久しぶりです。
歩き始めると、どこからともなく、獣の鳴き声が聞こえてきます。
本当にもののけ姫の世界です。
人が全くいないところがさらに屋久島の世界に引き込まれていきます。
山を登っていてこんな気持ちにさせてくれるのは屋久島だけです。
変化に富んだ登山道を数時間歩いていくと、いよいよ九州の最高峰、宮之浦岳に到着。

雨で何も見えません。
ここに到着する1時間くらい前から雨や風がひどくなってきました。
(実はインターネットが繋がらなくて、淀川小屋で気象情報を取得できず。この日の気候が全くわかりませんでした)
朝は雨が降っていなかったので、このまま天候が良くなるかと思っていたら少しずつ悪くなってきました。
それでもまだ北アルプスに比べたら穏やかな山なので、思い切って鹿之沢小屋に向けて進むことにしました。
ここが今回の大きな判断ミスでした。
焼野三叉路から永田岳に向かって30分ほど歩いた時点で、かなりきつい山道だとわかりました。
登山道が整備されておらず、歩きにくく、しかも道がわかりづらい。
歩けば歩くほど道がひどくなっていきます。
肝心な標識もこんな感じ。

読めない。
方向がわかりにくい。
他に登山者がいれば少しは安心するのだけど、天候が悪いのでこの日は誰とも会っていない。
ここで転んで怪我をして動けなくなっても数日間は誰も通る気配がありません。
(岩場が多く、雨で滑りやすくなっているので、気をつけて歩かないと簡単に滑って骨折してしまうような箇所が数多くあります)
どんどん心細くなってきました。
ここまでくると戻るのもかなり大変なので、なんとか鹿の沢小屋まで進むしかありません。
しかし、進めば進むほど道が険しくなり、迷いやすい道ばかりになってきます。
実際に何度か迷いました。
久しぶりに命の危険を感じました。
そんな大変な思いをしてやっとたどり着いた鹿の沢小屋。

良い小屋だと聞いていたのですが、全く違いました。
まるで牢獄のようです。
というか牢獄よりひどいです。
(牢獄には入ったことないけど)
違いは出入りが自由ということぐらいかも。
薄暗くて昼間でも真っ暗です。
小屋の中もとても汚い。
この小屋の中を見た途端、本当に落ち込みました。
「自分は一体何をやっているんだろう」
「生きて帰れるのだろうか」
落ち込んでいる間にも雨風がどんどんひどくなってきて不気味な音が小屋じゅうに響いています。
ここに来たことを本当に後悔しました。
こんな状況でも自分にも生きようとする本能はあったようで、濡れた衣服を着替え、暖かいココアを作って飲んでいると少しだけ落ち着いてきました。
ただこの牢獄のような小屋にはとても馴染めません。
帰りたくても近くの小屋までは雨の中を丸1日歩かないとたどり着けません。
辛いです。
そのまま悩んでいてもどんどん寒くなるばかりなので、荷物を整理して眠る準備をしました。
眠る前に少しお腹に食物を入れて暖かいコーヒーを飲んで体を少しでも暖かくしてから眠ろうとしていたら、どこからともなく人の声が聞こえてきました。
あまりにも寂しいので幻聴かと思いました。
そしたらまた聞こえてきました。
しかも若い女の人の声です。
まさか!
と思って疑っていると、どんどん声が大きくなり、人の姿が見えました。
これも目の錯覚?
しかし、若い女の人が小屋の中に入ってきます。
続いて若い男の人も入ってきました。
どうやら本物の人間のカップルのようです。
普段なら若いカップルと同じ小屋に一人だけというのは居心地の悪いものですが、この時は心の底から助かったと思いました。
(このカップルから見ると私は邪魔者だったかもしれませんが)
二人が入ってきた途端、それまでの小屋の中の空気ががらっと変わりました。
この二人のカップルが救世主のように思えてきました。
この牢獄のような薄暗い小屋で、土砂降りでずぶ濡れでとても寒く、近くの民家までは丸一日歩いてもたどり着けない場所なのに、この二人はとても楽しそうです。
「若いってすごいなあ!」

鹿の沢小屋での夜

今でもこの時一人で夜を過ごしていたらと思うとぞっとします。
というのはこの小屋はドアが閉められないのです。
なので開けっ放しのまま眠ることになります。
外は土砂降りです。
山奥なので、当然動物や色々な生き物がいます。
絶えず風の唸り声が不気味に響いていて恐怖感を煽ってきます。
もちろん電気がないので真っ暗です。
普通に考えて、こんなところで眠れる人がいるのだろうか?
一人だったら眠れないどころか、怖くて仕方がない状況でした。
実際に夜中に風で閉まるはずのないドアが大きな音を立てて閉まりました。
思わず逃げ出したくなりました。
でもここには本州と違って熊はいないはず。
シカやサルが入ってきても、大人3人いればなんとかなるはず。
そんなことを考えながら、なんとか一晩過ごすことができました。

五日目、新高塚小屋へ出発

恐ろしい夜をなんとか無事に過ごした翌日、今日は一番近くにある小屋、新高塚小屋へ。
とりあえず焼野三叉路まで行けば、メジャーなルートになるので、途中で倒れても、その日のうちに誰か一人は通りかかるはず。
とはいえ、道は険しくわかりづらいルートなので、二人のカップルと方向が同じなら一緒に行こうと考えていたのですが、この二人は驚いたことにここから永田町まで8時間かけて歩くとのこと。
新高塚小屋までなら5時間くらいで行けますが、永田町までは早くても8時間かかる屋久島でも屈指のルートです。
私にはとてもそんな体力はありません。
一緒に行くことは諦めて、また険しくわかりづらい道を一人で登ることにしました。
問題は焼野三叉路までの3時間のルートです。
そこまでたどり着けばあとは難しいルートはありません。
3時間だけがんばって歩くことにしました。
大変険しい道ではあるけれど、一度は通ってきた道なので、なんとか帰れるはず。
何よりもここにまた滞在する勇気はありません。
また誰か泊まりに来てくれることを期待する方が無謀です。
道に迷ったときのために、余裕を持って明るくなる7時少し前に出発することにしました。(若いカップルの方はまだ薄暗い6時前に出発していきました)

やはりきつかった焼野三叉路までのルート

早朝から土砂降りで、気温も低い状態での出発はきつかったのですが、若いカップルから元気をもらい、精神的には少し楽になりました。
昨日までの疲れは少し取れていたので、幾つものロープを登りながら、2時間ほど歩き続けて、何とか永田岳まで辿り着くことができました。
そこから先は、もうくだりしかないはず。
来た時と同様、険しくわかりにくい道を何とか迷わないように歩いていくと1時間くらいでやっと焼野三叉路に着くことができました。
ここまでくれば、途中で倒れてもその日のうちに誰かが発見してくれます。
やっと落ち着いて本来の山歩きができるようになりました。
気持ちはとても楽になりましたが、天候はそれとは逆に益々酷くなってきました。
風が強く、立ったまま歩くと吹き飛ばされて崖から落ちてしまうので、腰をかがめながら歩きます。
それに加えて気温がどんどん下がってきました。
あまりに寒いので、防寒用のフリースをカッパの中に着込んで歩くことにしました。
冬山でもここまで着込むことはありません。
ひどい雨と風で体温がかなり奪われていたのだと思います。
それでも何とか焼野三叉路から2時間ちょっと歩き続けてようやく新高塚小屋までたどり着くことができました。

新高塚小屋にて

これが新高塚小屋です。

管理人はいませんが、とても立派な小屋です。
ここなら一人で泊まっても何も怖くありません。
着いた時は私一人だけでしたが、1時間ほどするとふたり組の登山者がやってきました。
続いて5人ほどのグループの登山者たちもやってきて、結局この日は10人くらいがこの小屋に泊まりました。
夕方になると皆さんおいしそうな夕食を食べていたので、私も普段はあまり食べない非常用に持ってきたフリーズドライ食品を食べてみました。
これが失敗でした。
体に合わなかったようで、食べた後で体がこれを食べ物と認識していないようで、ずっと胃や食道の中に溜まって吐き出そうとしている感じです。
これを食べたことをとても後悔しました。
後からチョコレートを食べることでなんとか体をごまかしてチョコレートと一緒に消化させましたが、もう二度とこの食品を山に持っていくのはやめようと思いました。
山でちゃんとした食事を作れるよう訓練する必要を切実に感じました。

最終日、白谷雲水峡へ

翌日は今回の山歩きで初めて晴れてくれました。
とても気持ちのいい朝です。
歩くのが楽しくて仕方ありません。
7時頃に小屋を出発して、縄文杉やウィルソン株で少しゆっくりしてから、鉄道跡を歩いて白谷雲水峡へ。
ここが鉄道跡。

歩いていてとても気持ちの良いルートです。
ここを通って縄文杉に行く人が一番多いようです。
(ちなみに荒川登山口へのバスは冬の間止まっていて、再開は3月1日から)
そして白谷雲水峡の入り口へ。

なんとか最終のバスに間に合いました。
(白谷雲水峡では途中で中国人の若いグループに会いました。
中国人観光客のマナーの悪さは有名で、私も何度も嫌な目にあっていますが、このグループはとても礼儀正しい人たちでした。
中国も少しずつ変わってきているのかもしれません)
宿に戻っていつもの食堂で夕食。
ビールと食事がとても美味しかった。
困難を乗り越えた後のビールと食事は格別です。
これがあるから登山はやめられません。

屋久島高速船→鹿児島空港→中部国際空港


帰りは行きと同じルートで鹿児島空港経由で帰ってきました。
今回はあまり写真を撮ることはできませんでしたが、これから始まる登山シーズンに向けて貴重な経験ができたように感じます。
今シーズンの登山が楽しみです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

4 × four =